貧困国に開発協力するそれぞれの理由

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ここのところ貧困国への開発協力や支援について、ブログで色々と考えをまとめている。

今回はなぜ途上国・貧困国に、国家やNGO、個人が関与するのだろうか?、を考える。

動機を理解すれば、目的もわかる。行動も理解できる。

人や組織がなぜそんな行動をとるのか、そのためには行動の背景を知ることだ。

例えば、私個人がそもそもアフリカに関わろうと思った理由。

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それは前にもふれたが、この1冊の本とので出会いだ。

1冊の本との出会いによって、実際にアフリカまで行ったし、結果的に様々な経験や多くの仲間を得た。

まあ私個人の話はさておき、他国に支援や開発協力を行うとき、そこにはどのような動機があるのだろうか?

そこには、大きく4つの理由がある。

①グローバルコミュニティの義務
②政治経済メリット
③ポストモダン
④共感・同情・楽しさ

 

①のグローバルコミュニティの義務に関しては、人道支援なども含まれる。

前回のブログで論じたリベラルな思想からくる動機だ。
貧困国の支援・開発協力のボトルネック:主権国家とリベラル理念のジレンマ

個人の支援者でもこの理由で、支援する人が多いだろう。

逆に建前として、これが使われることも多い。

 

②は、自分・自国のための政治的・経済的な動機だ。

近所で戦争が起きて欲しくない、難民や移民がどんどん来て欲しくないなど、迷惑が嫌だ、健全なご近所になって欲しいという動機も、ここに入るだろう。

経済的動機で言えば、中国の開発協力の歴史は、資源確保だ。

日本が支援してきたのは60年代はじめからのアジアに対する戦後賠償の意味合いが強かった。

例えば、中国は戦後賠償を放棄したため、その代わりに日本は70年代後半からODAとしての供与を続けることとなった。少なくとも中国側はそのように理解している。

JICAは元々日本から移民として外へ出て行く人の支援組織だった。

日本が当初意識していたのは、資源外交の一環でもあるし、援助を出せば、それが日本の輸出につながるだろうという思惑があったことは、理解が容易だ。

資源を早めに確保したい、国連での1票が欲しいなど、国家が関わるということは、税金を使うので、国民に政治経済的にメリットがあるという動機は、自然といえば自然である。

そして国をまたぐ開発や支援は、国際政治経済が舞台だ。

当然の話だが、それぞれステークホルダーの思惑が大きく絡みあう。

①であげた国連だって、国際政治経済の文脈にあるのは、周知の事実だ。

 

③は、国際社会において、現在ではポストモダンな動機というものがある。

国際社会の中で一定の地位やオーソリティーを得ようとする国家。

すると援助が必要な世界で、なぜ協力しない?、という話になる。

結果として、①②を組み合わせながら、協力していくことになる。

このファジーな動機が、ポストモダンだ。

ポストモダンな動機は、「他の世界の国々がやっているから」という思想に近い。

 

④の理由が共感・同情・楽しさだ。

現場に行った人に、そこで会った子ども達の笑顔が忘れられない、という人が多い。

そして現地からの、日本人には大げさ過ぎる感謝。

これが、大きな元気とさらなるモチベーションを与える。

私は当時有給休暇をとって、自費でアフリカに行った。

ビジネスではないのだ。

ではなぜ行ったのか?

この問題を真剣に応援したいというまっすぐな気持ちと同時に、そこに「ワクワク感」や「楽しさ」があったのは事実だ。

衣食足りた我々にとって、「ワクワク感」「世界に貢献する」「感謝される」「新しい世界に出会う」は大きな魅力だ。

現場で活躍している人たちには、そういったモチベーションが強いと思う。

 

動機は必ずしも綺麗なものばかりではない。

また、どれか1つだけでもなく、多くの場合複数の動機が混ざり合っている。

開発援助には多様なステークホルダーがいて、その数だけたくさんの動機がある。

どの動機を大きく持って自分が関わるのか。

世界には自分と違う動機をもつ故に、全く思考経路が違う組織・人間がいることを、しっかり理解しておきたい。

 

アリヴェデルチッ!